浄国寺の境内には著名な人々が埋葬されています。宮島杓子を創案した僧誓真。僧侶特有の砲弾型の石塔には「実誉至誠誓真大徳」寛政12年(1800年)8月6日歿と刻まれており、浄国寺に残る過去帳の記載と一致しています。誓真は村上氏の子孫で、代々広島の大工町に住んで米屋を営んでいましたが、二十五歳の頃感じるところがあって宮島光明院に投じて僧侶となりました。誓真は彫刻の才があり、木魚・仏具等を作っていましたが、島民の生活を救うため琵琶の形からヒントを得て飯杓子を発案したといわれています。宮島の杓子は材料の木質がよく、飯に木の移り香がなく、また飯粒がこれに付着しにくいのが特徴とされています。又、日清戦争の時「敵をメシトル」として出征兵士の武運長久を祈って奉納したことに始まり、近時は甲子園出場の地元高校野球の応援団名物となっています。誓真はこの外島内の処々に井戸を掘り島民に親しまれましたが五十九歳で入寂したといわれています。
次に銅虫歴代の墓があります。元和年間紀州より広島入りした浅野長晟公に随ってきた細工師佐々木清氏は号を銅虫といい、黄銅を叩いて種々の器具を製造しました。浄国寺には初代から十代までの墓があります。この他画家中井泰領の墓や、宮崎木鶏翁の墓もあります。
永代使用料 |
100cm×100cmあたり
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こんな方へ |
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特徴 |
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